日記 9月4日 1回

日記

こんにちは。
廓優です。リトアニア留学が始まってはやいこと1週間。
生活環境の整備や留学生との交流、オリエンテーション、そして授業…とにかくやることに追われながら目まぐるしい日々を過ごしています。

ようやくひと段落がつき、書きたいことも山ほどあるのですが、せっかくなら日記を書くかと思い今日からできる限り毎日感じたことや、思い出を書き記していきます。自分の感想が強いため口調が変わったり、一見するとひどいことも書くなど、ぶっちゃけた日記です。

主張が強い文が苦手な方は読むのを控えてください。ただ心から思ったことを書くので、生き生きとしたリアルな描写を楽しめます。

最初は1週間のふりかえりとして非常に長い話になりますが、是非とも自由にお読みください。

8月26日
この日はアクシデントから始まった。私が持っていこうとした小さいスーツケースにひびがあるということで急遽大きいサイズに変更した。おかげで30分出発が遅れたが、元の日程に戻った。私が日本を出発をした日。正直羽田空港についてもこれから留学する実感はわかなかった。見送りには母親と叔父、祖母の三人が来てくれて、母方の血筋は節目をちゃんと大切にするのだと母も笑っていた。私は考え方が父方の血筋が強いので多分兄弟がどこか遠方へ住むといっても、特に見送りにはいかないだろう。おそらくエールと選別くらいは渡すと思うが、特に兄弟から選別はもらわなかった。まあ特になんとも思わない。そんなふわふわしたことを思いながら、空港へ早めに着き、荷物を預けて食事とお別れを済ませる。案の定荷物預けでも私が職員と話している最中に大声で「をきけ」と叫んできた。覚えているしいわれたから叫ぶ必要はない。だが普段の私からか言った方がいいと判断したのだろう。確かに忘れるときは忘れるし、言わないよりは…と思うが私的に外では普段よりしっかりしているつもりだ。食事は吉野家の月見牛すき御前?みたいなやつ。生卵を海外で食べられないので、空港に着いた時から生卵を食べられて値段がちょうどよさげな店を探していた。食後は事前に友達が空港のテラスに行くのが好きと言っていたので、ちょっとテラスをのぞいた。母親はテンションが高いのか、記念が好きなのかしきりに写真を撮りたがっていたので数枚とった。私はたかが10か月だとずっと言っていたがあまり聞く耳をもたない。周りは友人や両親と幼い子どもがいたが、20歳を超えて家族連れで写真を撮っている人は見られずかなり恥ずかしかった。おそらく大学生と思われる集団が送別か出迎えをしている様子を見て、すごいと少しうらやましい気持ちもしたが、私にはだれかを誘う勇気はない。
なんだかんだ叔父や祖母とは近況やこれからを話、母親とはそんなにたくさんは話さなかった気がする。あんまり心配されると恥ずかしいし、正直過干渉は好きではない。ただ本音を言えば、この先にある不安をただ知りたくなかっただけな気もする。英語力は足りるのか、一人で生きていけるのか、授業についていけるのか、向こうに足りない食べ物はなんなのか、きりがない不安事に押しつぶされるのが嫌で、知りたくなかったのでただ母親のいうことをずっと流していただけだ。

手荷物検査前、いよいよ別れ。手を握りとりあえず何とかなるといつも通り思い、出発した。振り返るのも少し面倒だったが、10か月は…とも思い一応振り返って再度てを振った。

空港に入ってとりあえず日本人を探したが見つからなかった。この時期にヨーロッパに行く人は少ないのだろうそう思っていたが、飛行機の席は日本人の隣だった。待機席にこそ少なかったが意外と人がいる。そう思った。隣の彼はVeniceのほうに、映画祭目当てに行くらしい。同じ学生とは思えないほどいろいろ挑戦していてすごく興味深かった。また今度連絡話したい。

飛行機に乗って驚いたのはアメニティの多さだ。どうやらターキッシュエアラインはサービスが非常によいらしい。飛行機の中ではまだ見ていなかったWISHやアナ雪の二作目を見たり、隣の日本人と話したりして過ごした。一つだけ残念だったのが和食が一個前の席でなくなってしまったことだ。それほど後ろの席に座っていなかったはずだが早々になくなり、和食が人気だと改めて感じた。白ワインをたのんでみたが正直あまりおいしいとは思えなかった。ただ二回でた食事は両方ともおいしく食べられた。

トランスファーとしてトルコについた。トルコの空港の広さときれいさに驚きつつもまだ留学の実感はわかない。リトアニア行のチケットをもって、再度荷物検査をして乗り換え便を待つ。その間、同じ大学に行く友達に連絡をしたがつながらない。なんとなく不安を覚えつつ、日本人を探しアジア系の顔をみつけたが話しかけには行けなかった。

8月27日
暇を持て余しながら飛行機を待つ。トルコの空港では一時間しかWIFIが通らなかった。周りはヨーロッパ系の人ばかり、ここでようやく未知の国へ行く実感がわき始める。2回目のフライトも再度窓側。景色を見ながらゆっくりする。ここでの食事はメインディッシュはよかったものの、サラダみたいなでかいチーズが入っているものが少し口に合わなかった。食事の系統がここら辺で変わってきた。景色を見ながら所々で寝てあっという間に空港に着いた。

事前にUQモバイルにて1日だけWIFIサービスを契約していたため、すぐにバディに連絡した。飛行機を降りるとまずは入国審査。ビザを見せて簡単な質問に答えて終わり。荷物を受け取って出口へ向かうと私の名前を書いたタブレットを持った女性が…彼女が私のバディだ。フェイスブックのアカウントで見ていた見た目通りであった。ここらで徐々に不安を覚え始めた。想像していたよりも聞き取りにくい英語と想像していたよりもうまい英語、周りの環境…ただついていくだけであまり会話をしなかった。

バディは2人と一緒に来ていたが、荷物が想定よりも多かったらしく、私のバディはバスで寮まで来ることになった。一緒の車に乗った台湾人よりも明らかに私の荷物が多く少し申し訳なさを感じた。車の中ではお互いの出身や学部、性格診断などを話した。まさか性格診断が他国でもはやってるとは思わなかった。ちなみに私はENTPである。

私の住む寮はSauletekio al. 39 というところで見た目はぼろそう…。印象通り中もきれいではなかった。私は寮に入れるかずっと不安であった。とういのもお金を送金したが日本円の領収書しかなくそれおを添付していたからだ。幸い普通に入居できたので良かったものの、最初の関門として英語での個人情報の入力があり、最初っから人に頼りっぱなしだった。書類提出を終え、与えられた部屋へ向かう際に日本人を見つけた。私がライン上でメッセージをとっていた人と彼女の友達の2人がいて、非常に安心したのを覚えている。トルコ空港で連絡が取れていなかったので違う寮の可能性を考えていたのだ。

私の部屋は4階であり、エレベータもないため荷物を担ぐのはしんどかった。途中で台湾人の真似をして「ヘルプ~」と言ってポルトガル人に手伝ってもらった。ありがとう。部屋にはすでにルームメートがいた。一通り荷物を片付けているとさっき手伝ってくれたポルトガル人と彼のルームメートのドイツ人が来た。彼らとはアニメの話で盛り上がり、やっぱりアニメは世界で共通の話題だとわかり嬉しかった。

その後彼らと食事に行った。近場のスーパーに行き食事を作ると彼らは言う。私はとりあえずついていき何かよくわからないまま一緒に買い物をした。今まで自炊をしたことないし、さらに食材の名前など知らないこともあり買い物の仕方すらわからなかった。しかしドイツ人が教えてくれて一歩成長できた気がした。隣の店でケバブを食べた。これが私がここにきて初めての食事だ。5ユーロとちょっと高い気もしたが具材が豊富で健康的な食べ物だと思った。彼らとは経済の話やアニメ、投資など話したが、私が参加できるものは非常に少なかった。正直9割ほど何言ってるかわからず時々聞こえる言葉を頼りにまれに話に加わった。初ヨーロッパの記念にコーラをおごってもらった。しかし実際は訪れたことがあるので嘘をついてしまった。たぶん私の英語力が足りずにテキトーに返事をしていたせいであろう。

帰るタイミングもつかめずなんとなく寮に戻り、荷片付けを再開した。その途中でルームメイトと隣人と対面した。韓国人と香港人でどうやら私の部屋はアジア系で固まっているらしい。非常に安心した。また先ほどであった日本人も部屋へ来訪した。どうやらシムを買ったけど悪戦苦闘していたようだ。私も空港で別れたバディと寮にて会い、シムカードを受け取ったので一緒に設定することに。だがいくらやってもできず韓国人にデザリングしてもらってようやく完了した。気づいたら6時近くになっていた。2時間も戦っていたのか…。

夜ご飯について考え始めていると先ほどのドイツ人が一緒に作って食べないかと誘ってくれた。いろいろあって人が増え、料理を作れるといった日本人のルームメイトの台湾人のもと12人での食事会が始まった。ただ準備に2時間、シェフは4人、あとは待機と喋って待っているだけ、少し退屈であったし長すぎる調理時間に疲れを感じていた。私は調理には参加せず見ていただけであった。同じ大学出身の日本人がずっと料理を作っていて真面目だなぁとヒトごとに思ったくらいだ。

食事はラーメンとスープが2種類。ベジタリアン用と普通のもの。ここで2種類でることにまた海外を感じた。味はおいしかったがなぜかみんな黙って食べていた。まさかついて初日の夜の大人数で食事をするとは思ってもいなかった。ついて初日ということもあって早く休みたかった私はタイミングよく抜け出して、みんなが片付けるのが終わったタイミングですぐにシャワーを浴びた。汚いし狭いとは思ったが、そんなに気にはならなかった。部屋に戻ると同部屋の韓国人と会話して、扉に描いてあったアニメの話をして、みんなの名前を教えてもらって部屋のルールを決めて寝た。アジア人が想像よりも多くて何とかなると思った。あとは同じフロアに日本人の男がいるという話を聞いたが今日は見かけなかった。

とりあえずこんな感じです。思ったより長くなったけど次行きます。